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松江地方裁判所 昭和43年(行ウ)4号 判決

原告 大石勝弘

被告 桜江町・桜江町教育委員会

主文

被告桜江町は原告に対し金五万円を支払え。

被告桜江町教育委員会が原告に対し昭和四三年三月二九日付でなした「昭和四三年四月一日から昭和四四年三月三一日まで島根大学において特殊教育の研修を命ずる。」との研修処分を取消す。

原告の被告桜江町に対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告訴訟代理人は「被告桜江町は原告に対し金三六万六、〇〇〇円を支払え。被告桜江町教育委員会が原告に対し昭和四三年三月二九日付でなした『昭和四三年四月一日から昭和四四年三月三一日まで島根大学において特殊教育の研修を命ずる。』との研修処分を取消す。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに被告桜江町に対する金員支払請求について仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人は「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、請求原因

一、原告の地位

原告は島根大学教育学部中学二年課程を修了し、英語、国語の二教科について中学校教諭二級普通免許状を取得して昭和二六年四月一日より島根県邑智郡長谷村立長谷中学校(その後統合により桜江町立江陵中学校となる)に教諭として勤務し現在に至つている。

二、被告桜江町教育委員会の原告に対する研修命令

被告桜江町教育委員会(以下被告委員会という)は原告に対し、昭和四二年三月二七日付で「昭和四二年四月一日から昭和四三年三月三一日まで島根大学において研修することを命ずる。」との研修命令を発し(以下これを第一次命令という)、原告は右命令に従い昭和四二年四月一日より自己の意に反して同大学において研究生聴講生として研修を続けていたところ、被告委員会は再度原告に対し、昭和四三年三月二九日付で「昭和四三年四月一日から昭和四四年三月三一日まで島根大学において特殊教育の研修を命ずる。」との研修命令を発した(以下これを第二次命令といい、第一次命令と併せて本件研修命令という)。

三、本件研修命令の違法性

(一)  本件研修命令発令の経緯

一般に原告等県費負担教職員の人事異動に関しては、従来任命権者である島根県教育委員会(以下県教委という)が人事異動発令の数ケ月前に本人の意見を聴取し、これと学校長の意見を参考にして決定する方法がとられていた。そして、原告に対しても昭和四一年一二月に昭和四二年度の異動に関する意見聴取がなされたので、原告は第一に江陵中学校に留任、第二に自宅により近い学校への転任を希望していた。ところが昭和四二年三月二七日に突然被告委員会から波多野江陵中学校校長(以下校長という)を通じて原告に対し「島根大学において研修を命ずる」旨の研修命令書が手交された。しかし、原告はそのような研修をかつて希望したこともなく、且つ研修の目的及び理由も明確でなかつたので右研修命令書を受取つた際校長に対し研修命令の理由をただしたところ、校長は原告の転任受入先がなかつたためである旨説明した。又、研修の目的については同月二八日本山桜江町教育長(以下教育長という)から心理学の研修をしてもらいたい旨の指示を受け、更に同月三〇日島根大学に出頭した際大学側より県教委が養護教育の研究を求めている旨の説明を受けたが、被告委員会から正式な通告はなかつた。そして、第二次命令の際も同様事前に原告の意見が聴取されず、且つ被告委員会から研修命令の理由及び目的について納得のいく説明を受けることができなかつた。しかし、原告は前記のとおり、昭和二六年以来第一次命令に至るまで一六年間にわたり中学生の英語及び国語教育に携わつて来たのであり、養護教育とは全く関係なく、かつて養護学校教諭免許状の取得を希望したり、又その取得を勧告されたこともなかつた。

(二)  被告委員会は原告に対し本件研修を命ずる権限を有しない。

被告委員会は地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下地方教育行政組織法という)四三条一項、四五条一項により被告委員会が県費負担教職員に対して有する服務監督権に基づき本件研修命令を発した旨主張する。たしかに同法四五条一項は「県費負担教職員の研修は、市町村教育委員会も行なうことができる」旨規定しており、右研修は同法四三条一項に定める服務監督権に基づいて行なわれるようであるが、市町村教育委員会は県費負担教職員に対する任免権を有さないのであるから右教職員の身分関係、勤務場所及び勤務内容に変更をきたすような職務命令を発することができないことは明白である。従つて同法四三条一項、四五条一項により市町村教育委員会が県費負担教職員に対し職務命令という形式で研修命令を発することができるとしても、右教職員の身分関係、勤務場所及び勤務内容に変更をきたすような内容の研修を命ずることは許されないはずである。しかるに、前記のとおり本件研修命令は原告から教員の機会を一方的に剥奪し、原告に対して本来の勤務場所と異なる特定の場所における研修を義務づけ、且つ原告の将来の身分関係、地位に重大な影響を及ぼすものであつて、実質上の期限付転任処分に当るから、被告委員会がその服務監督権に基づく職務命令として命令ずることは許されない。このような命令は原告の任命権者である県教委のみが発する権限を有するのであり被告委員会はかかる権限を有しないから、本件研修命令は無権限者によつてなされたものであつて明らかに違法である。

(三)  本件研修命令は教育基本法六条二項、地方公務員法一三条、二七条一項、教育公務員特例法一九条、二〇条、学校教育法四〇条、二八条四項に違反する違法な処分である。

(1) 前記のとおり、本件研修命令は特殊教育の研修を命ずるものであるから、右研修終了後原告をして特殊教育の免許状を取得させ、又は、取得させないまでも研修の経験に基づいて特殊教育を担当させることを目的とするものである。しかし、教員が教育対象としていかなる種類の教育を選択するかは免許状取得時における教員自身の自由に任されており、又、教員の教育内容はすべてその有する免許状によるものであつて、新たな免許状取得を他から強制することは許されない。特に特殊教育については、学校教育法がこれを盲者、聾者、精神薄弱者、肢体不自由者もしくは病弱者に対する教育として普通教育と別に規定し、又教育職員免許法においてもその免許状を普通教育の免許状と別種類のものとしている点からも窺えるように、普通教育とはその教員方法が基本的に異なるのであるから、一〇数年間普通教育に携わつて来た原告に対し新たに特殊教育の免許状取得を強制する合理的な理由はなく、従つて又、右免許状取得を目的とする研修を命ずる根拠もない。

以上のとおり、本件研修命令は原告に対して何ら意見聴取がなされないまま、原告の意思に反し、しかも具体的かつ合理的根拠に基づかずになされたものであるから、教員の身分の尊重を定めた教育基本法六条二項に違反し、又、後記のとおり原告の教育者としての信条、政治的意見等に基づく不当な差別取扱であつて地方公務員法一三条、二七条一項に違反する。

(2) 教育公務員の研修は、教育公務員特例法一九条に定めているように、教員の自律的な研究修養を基本とし、同法二〇条はこれを教育公務員の権利と認め、本人の意思ならびに学校教育の理念と合致するものとしての研修計画及びその実施を予定している。しかるに、本件研修命令は原告の意思に反する研修を強制するものであり、原告の研修の自由を侵害するものであつて違法である。

(3) 児童生徒の教育を掌ることは教員の基本的権利であり、原告は中等普通教育としての英語、国語の授業を行なう意思と熱意を有する教諭であるが、本件研修命令によつて二年間にわたり右の教育する権利を侵害されるに至つた。自己の意思に基づいて研修を受ける場合には勿論教育権の侵害は存在しないが、教育行政機関である被告委員会が教育自体とは無縁の政策的考慮から研修命令を発することは教育に対する重大な干渉であり、教員である原告のみならず教育を受ける生徒の権利に対する侵害行為である。又、本件研修命令が原告に対し新たに養護学校教諭免許状を取得させるためのものであるならば、それは既に第一次命令による一年間の研修で十分であるにもかかわらず、さらに第二次命令によつて研修期間を一年間延長したことは教育的見地からすれば全く無意味であり、被告委員会の不当な政策的考慮によるものでしかない。

従つて、本件研修命令は原告の教育する権利を侵害するものであつて、学校教育法四〇条、二八条四項に違反するものである。

(四)  本件研修命令は地方公務員法五六条に違反する違法な処分である。

原告は前記長谷中学校に勤務中の昭和三六年から昭和三八年まで日本教職員組合中央執行委員として、また、昭和三三年から昭和三六年まで並びに昭和三八年から昭和三九年まで島根県教職員組合執行委員としてそれぞれ組合活動に専従した経歴をもち、現在も島根県教職員組合組織機構整備特別委員会副委員長、江陵中学校分会長として組合の役職にあり、島根県教職員組合の中で顕著な組合活動家として組合員の一定の支持を得ているところ、本件研修命令は右のような組合活動家たる原告を職場より切り離し、組合活動を行なうことを事実上不可能にする意図をもつてなされたものであり、右は地方公務員法五六条に違反するものである。

四、被告桜江町の損害賠償責任

原告は右のような違法な第一次命令により教育の権利と組合活動の機会を奪われ重大な精神的打撃を蒙つたが、右損害の価格は一日最低一、〇〇〇円であり、第一次命令による研修期間中の総額は最低三六万六、〇〇〇円である。そして第一次命令は被告委員会がなしたものであり、右命令に係る事務の帰属する公共団体は桜江町であるから、被告桜江町は国家賠償法による賠償責任を負うべきものである。

五、よつて、原告は被告桜江町に対し金三六万六、〇〇〇円の支払を求め、被告委員会に対し第二次命令処分の取消を求める。

第三、請求原因事実に対する被告らの答弁並びに主張

一、答弁

(一)  請求原因第一項の事実は認める。

(二)  同第二項の事実中、被告委員会が本件研修命令を発令した事実、第一次命令に基づき原告が島根大学において研究生として研修を続けていた事実は認める。その余の事実は不知。

(三)  同第三項(一)の事実中、原告等県費負担教職員の従来の人事異動が原告主張の方法により行なわれていたこと、昭和四一年一二月、原告に対し異動についての意見聴取がなされ、原告がその主張のような希望を述べたこと、昭和四二年三月二七日、原告にその主張のような研修命令書が手交されたこと、本件研修命令前原告に対して養護教育の研修につき意見聴取が行なわれなかつたこと、原告が昭和二六年以降第一次命令に至るまで組合専従期間を除いて中学生の教育を掌つて来たこと、原告が従来養護教育とは全然関係なく、養護学校教諭免許状の取得を勧告されたことがなかつたことはいずれも認める。校長が第一次命令の理由につき原告主張のような発言をしたこと、原告が第一次命令の研修内容につき島根大学から説明を受けたこと、原告が養護学校教諭免許状の取得を希望したことがなかつたことはいずれも不知。その余の事実は否認する。

(四)  同項(二)の事実中、本件研修命令が被告委員会の県費負担教職員に対する服務監督権に基づいて行われたことは認めるも、その余は否認する。

(五)  同項(三)の事実中、教員がいかなる種類の教育を選択するかはその自由にまかされていること、学校教育法が普通教育と特殊教育とを別に規定しており、普通教育と特殊教育はその教育方法を異にしていること、教育公務員特例法一九条、二〇条が教育公務員の研修につき規定したものであることは認めるも、その余は否認する。

(六)  同項(四)の事実中、原告がその主張のような組合専従の経歴を有していること、現在江陵中学校分会長であることは認める。原告が島根県教職員組合組織機構整備特別委員会副委員長であり、顕著な組合活動家であることは不知。その余は否認する。

(七)  請求原因第四項の事実は否認する。被告委員会がその服務監督権に基づき研修命令を発したため、原告が従来の教育現場から離れることになつてもそれが原告の教育権を侵害することにはならない。原告は精神的損害として一日最低一、〇〇〇円を主張しているが、精神的損害を一日単位で計算する根拠はなく、又、日曜、祭日等の一般休日はもとより学校の休暇等原告が職務に就かない日までも含めてその精神的損害を請求することは失当である。

二、主張

本件研修命令の理由並びに法律上の根拠は次のとおりである。

県教委は県費負担教職員の人事異動に関し、同一校に七年以上勤務する者又は、同一市町村内の学校に一五年以上勤務する者を永年勤続者として異動の対象とする方針をとつていたところ、原告は昭和四二年三月の異動期において江陵中学校に過去一六年間勤務していたため当然異動の対象者となつた。一方、原告においても他校に転出したい旨を校長に申し出ていたため、被告委員会は原告を他市町村内の学校へ転出させることとし県教委に対しその旨内申したが、実現の見通しがつかなかつた。ところで、県教委においては特殊教育の振興を重要な施策の一としており、この要員確保のため毎年現職教員を内地留学させ特殊教育に関する研修を命じている実情にあつた。そこで、被告委員会は、この際原告に特殊教育の研修を命ずることは県教委の教育施策にも合致するとともに、原告にとつても現有資格(中学校教諭普通免許状)の上に更に新たな資格(養護学校教諭普通免許状)を取得しうることとなることを考慮したうえ第一次命令を発令した。そして右命令に基づく昭和四二年度における原告の研修は主として養護教育史の研究にあつたが、被告委員会としては、原告をしてこれを基礎にさらに特殊教育の技術的教育方法を研修させる必要性を認めたため第二次命令を発令したのである。

本件研修命令の法律上の根拠は地方教育行政組織法二三条八号、四五条一、二項、四三条一、二項教育公務員特例法一九条、二〇条である。教育公務員の研修については教育公務員特例法一九条、二〇条に定められているとおりであり、県教委は右規定に基づき研究所の開設、内地留学制度(島根大学への研究生派遣を含む)の実施、各種講習会の開催等を行なつているが、これらの活用に当つては県教委は全県的視野から市町村教育委員会に対して一般的指示を与えるに過ぎず、県費負担教職員に対する右研修についての具体的指示、命令は地方教育行政組織法四三条一項、四五条一項により市町村教育委員会がその服務監督権に基づいて行なつているのである。そして被告委員会においても右の服務監督権に基づく職務命令として本件研修命令を発令したのである。なお、地方公務員法三九条二項に基づき任命権者である県教委自身が行なう研修についても、県教委は計画を立案し、これを実施するに過ぎず、これに参加させるための研修命令は地方教育行政組織法四三条一項、四五条二項により市町村教育委員会が発令するのである。

第四、証拠〈省略〉

理由

第一、原告が島根大学教育学部中学二年課程を修了し、英語、国語の二教科について中学教諭二級普通免許状を取得して昭和二六年四月一日より島根県邑知郡長谷村立長谷中学校(後に桜江町立江陵中学校となる)に教諭として勤務し、現在に至つている事実、被告委員会が本件研修命令を発令した事実は当事者間に争いがない。

第二、そこで、以下本件研修命令に原告主張のように違法性があるかどうかについて検討する。

一、本件研修命令発令の経緯

(一)  第一次命令発令の経緯

島根県における県費負担教職員の人事異動に関しては、従来県教委が人事異動発令の数ケ月前に本人の意見を聴取し、これと学校長の意見を参考にして決定する方法がとられていたこと、昭和四一年一二月、原告に対し昭和四二年度の異動につき意見聴取がなされ、原告が第一に江陵中学校に留任、第二に自宅により近い学校への転任を希望していたこと、昭和四二年三月二七日、原告に対して島根大学において研修を命ずる旨の研修命令書が手交されたこと、第一次命令前に原告に対して養護教育の研修につき意見聴取が行なわれなかつたことはいずれも当事者間に争いがない。そして右争いのない事実に原本の存在及びその成立に争いのない甲第二号証、成立に争いのない甲第一号証、甲第三ないし第六号証、証人本山実、同脇田裕、同波多野虎雄の各証言(但し、いずれも後記認定に反する部分を除く)同飯塚弥総彦の証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

島根県における県費負担教職員の人事異動に関しては、県教委が人事異動発令の数ケ月前に本人の意見を聴取し、これと学校長の意見を参考にして異動計画を立て、同一市町村教育委員会管内において異動を行なう場合には、当該市町村教育長が異動につき市町村教育委員会の同意を得たうえこれを県教委の出先機関である教育事務所へ内申し、任命権者である県教委が右内申に基づいて発令し、他市町村教育委員会管内への異動の場合には、市町村教育長がこれを右教育事務所へ内申し、同事務所は異動先の市町村教育委員会へ受入を問合せ、その同意を得て県教委が発令していた。

原告は昭和四二年度の異動に関して第一に江陵中学校に留任、第二に自宅により近い学校への転任を希望していたが、校長及び教育長は次の理由で原告を他市町村内の学校へ転出させることを強く希望していた。すなわち、第一、県教委は県費負担教職員の人事異動に関し、同一校に七年以上勤務する者又は、同一市町村内の学校に一五年以上勤務する者を永年勤続者として異動の対象とする方針をとつていたところ、原告は昭和四二年度の異動期において江陵中学校(統合前の長谷中学校を含む)に昭和二六年四月以来一六年間勤務しており、永年勤続者としてのいずれの条件にも該当していた。第二、原告は前記長谷中学校に勤務中の昭和三六年から同三八年まで日本教職員組合中央執行委員として、また昭和三三年から同三六年まで並びに昭和三八年から昭和三九年まで島根県教職員組合執行委員としてそれぞれ組合活動に専従し、現在も島根県教職員組合組織機構整備特別委員会副委員長及び江陵中学校分会長の地位にあり(原告が右のような組合専従の経歴を有し、現在江陵中学校分会長の地位にあることは当事者間に争いがない)、日教組の運動方針に忠実な組合員であつたところ、校長及び教育長等上司に逆らい不遜と見られる言動にでることがあつた(例えば、原告は昭和四〇年五月頃、桜江町内で行なわれた同町教職員研修会において、同研修会の決算書に桜江町からの補助金が掲載されていない点につき、同研修会に出席していた教育長等来賓に対し「がん首を並べているがどう思うか。」という表現でその意見を求めたり、昭和四一年邑知郡川本町において島根県教職員組合邑知支部総会が開催された際、同総会に出席した邑知郡内の町村教育長及び指導主事等に対し「案内もなしに入つて来るのは住居侵入である。速かに退場しろ。」と発言したり、又同年六月江陵中学校の職員会議において文部省のいわゆる学力テストの実施をめぐつて討論がなされた際、校長に向つて「校長が腰抜けであるから学力テストを返上できないのだ、校長は教育委員会の手先である。」等の発言をした)。そこで教育長は原告を他市町村内の学校へ転出させるよう県教育事務所に内申し、当時の島根県教育長である脇田裕が県内の教育事務所等を通じて他市町村教育委員会に対し原告の転任受入方を要請したが、受入を承諾するところがなかつたため原告の転出が実現する見通しがつかなかつた。昭和四二年三月二六日頃県教委から本山教育長に対し県教委は特殊教育の振興を教育行政の主要な施策としている折であるから原告を特殊教育の研修に携わらせてはどうかとの示唆があり、原告を桜江町から転出させることを強く希望していた教育長は原告を転出させるためには右以外他に方法がないものと判断し、その旨を被告委員会の審議に付し、二七日被告委員会は教育公務員特例法一九条、二〇条、地方教育行政組織法四五条一項に基づき同法四三条第一項の服務監督権による職務命令の形式で原告に対し本件研修命令を発した。被告委員会が同法四五条一、二項に基づき行なう研修は従来所属校の校長を通じて事前に研修員に研修参加の意向を確かめ、研修員の合意のもとに行なわれるのを立前としていた(例えば、昭和四二年度の特殊教育の研修については原告の他に四名が従事しており、内二名は東京教育大学に、他の二名は島根大学に派遣されたが、右四名に対する研修はいずれも本人の希望に基づいて行なわれており、本件研修命令のように事前に研修員の意向を確かめないまま職務命令という形式で一方的に研修を命じたものではなく、特に島根大学に派遣された右二名については地方公務員法三五条、職務に専念する義務の特例に関する条例二条四号の規定により職務専念義務を免除した上研修に従事させた)が、本件研修命令については右のように県教委の示唆と発令との間に期間がなく、且つ原告の意向を確めても拒否される懸念があつたので、従来の慣行に反して本人に対する事前の意見聴取を行わず、又所属校長の意見具申をもまたず、校長を通じて原告に対し「昭和四二年四月一日から同四三年三月三一日まで島根大学において研修することを命ずる。」と記載した研修命令書を手交することにより行われた。しかし、原告はかつてそのような研修を希望したこともなく、且つ研修の目的及び理由が明確でなかつたので、右研修命令書を受取つた際校長に対し研修の目的及び理由を問いただしたところ、校長は原告の転任受入先がなかつたため本件研修命令が発せられた旨説明した。又、研修の目的についても同月二八日本山教育長から児童心理学の研究でもしてもらいたいと指示され更に同月三〇日島根大学に出頭した際大学から県教委が養護教育の研究を求めている旨の説明を受け始めて明確になつたが、被告委員会から正式な通告はなかつた。原告は通じて約五年間組合専従をした他は、昭和二六年四月一日から同四二年三月まで長谷中学校及び統合後の桜江町立江陵中学校において中学生の英語及び国語教育に携わつて来たのであつて養護教育とは全く関係なく、かつて養護学校教諭免許状の取得を希望したり、又その取得を勧告されたこともなかつたところ、本件研修命令は原告に養護学校教諭免許状を取得させ、研修の経験に基づいて将来養護教育を担当させることを目的として発せられたものであつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証人本山実、同波多野虎雄、同脇田裕の各証言は前掲各証拠に照して信用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(二)  第二次命令発令の経緯

第一次命令に基づき原告が昭和四二年四月一日から島根大学において研修を続けていたこと、第二次命令前に原告に対して特殊教育の研修を続けることにつき意見聴取が行なわれなかつたことは当事者間に争いがない。そして成立に争いのない乙第一、第二号証及び証人本山実、同波多野虎雄の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

先に認定したように、第一次命令は原告の意思に基づくものではなかつたから、原告は右命令に従い養護教育の研修を行なうことには不服であつたが、これを拒否した場合には新たな不利益処分がなされることを危惧し、不本意ながら島根大学教育学部において研究生として養護教育史の研究を続けていた。そして、昭和四三年度の異動に関する意見聴取が行なわれた際は、江陵中学校に留任すなわち現場復帰のみを希望した。しかし、校長にとつては依然として原告はけむたい存在であり、原告が現場に復帰するときは再び江陵中学校の秩序が乱されることをおそれたので、昭和四二年度と同様転任の意見を具申し、被告委員会もまた前年度の理由に加えて、原告の昭和四二年度の研修内容が養護教育史のみであつて右研修では原告が将来特殊教育を担当するには十分でなく、さらに特殊教育の技術的な面についての研修が必要であるとの理由から、原告に対し昭和四三年三月二九日付で、「昭和四三年四月一日から同四四年三月三一日まで島根大学において特殊教育の研修を命ずる」旨の第二次命令を発令した。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(三)  被告委員会が原告に対し本件研修を命ずる権限を有しないとの主張について。

原告は本件研修命令は実質上の期限付転任処分である旨主張する。前記認定事実によれば、本件研修命令は従来島根県邑智郡桜江町所在の江陵中学校で英語、国語の二教科につき教鞭を取つていた原告に対し松江市内にある島根大学において一年間養護教育の研修を義務づけるものであり、原告に養護学校教諭免許状を取得させ、研修の経験に基づいて将来養護教育を担当させることを目的とするものであるから、原告の勤務の態様、勤務場所に変更をきたし、その将来の身分関係、地位に影響を及ぼすものであることはいなめないけれども、本件研修命令後も原告は依然として江陵中学校教諭の身分を有し、その地位及び俸給についても何等変更がないのであるから本件研修命令を目して期限付転任処分ということはできない。

もつとも被告委員会は県費負担教職員たる原告の任命権者でなく、原告の任用に関する処分を行なうことができないから、前記のように勤務の態様、勤務場所の変更をきたし、将来の身分関係、地位に影響を及ぼすような研修を命ずることができないのではないかとの疑問もないではない。しかしながら地方教育行政組織法四五条一項は市町村教育委員会が県費負担教職員の研修を行なうことができる旨規定しており、右研修の内容については何等制限していないから、市町村教育委員会は県費負担教職員の研究と修養を扶け、その資質の向上をはかり、教育公務員としての職責を遂行させるため、同条に基づき県費負担教職員を現職のまゝ相当長期間学校で研修させるいわゆる内地留学をもさせることができるものと解せられる。そして市町村教育委員会は地方教育行政組織法四三条に基づき県費負担教職員に対しその職務に関して包括的な服務監督権を有し、右教職員はこれに服従すべき義務を負担しているから、前記研修の目的を達成するために必要な場合は同条に基づき職務命令の形式で当該教職員に対し前記のような内地留学を命ずることもできるものと考える。もつとも内地留学の場合には研修命令により必然的に研修員の勤務の態様、勤務場所に変更をきたし、又その将来の身分関係及び地位に影響を及ぼすこともありうるが、このことは右のような態様の研修命令に当然付随する効果であるから、市町村教育委員会が県費負担教職員に対し内地留学を命ずることができるとする以上、右研修に必要な限度で勤務条件の変更を招来する職務命令を発する権限を有するものと解するのが相当である。従つて被告委員会が原告に対し本件研修命令を発する権限を有しないとする原告の主張は採用できない。

(四)  本件研修命令が教育基本法六条二項、地方公務員法一三条、二七条一項、教育公務員特例法一九条、二〇条、学校教育法四〇条、二八条四項に違反しているとの主張について。

教育公務員の研修は、その職務の特殊性、並びに一般に研修が本人の意思に反して行なわれる場合は十分な効果を期待できないこと、教育公務員特例法一九条、二〇条が教育公務員の研修につき自主性を基調とし、これを奨励するため任命権者に研修計画の樹立とその実施を命じていること等に鑑み、事前に当該教職員の意向を確かめ、その意思を尊重して実施することが望ましい。ところで、本件研修命令は前記のとおり事前に原告の意向を確かめることなくその意思に反して発せられたものではあるが、県費負担教職員に対しその職責を遂行させるため必要な場合は、被告委員会は地方教育行政組織法四五条一項、四三条一項に基づき右職員に対し内地留学を命ずることができ、いかなる者にいかなる内容の内地留学を命ずるかは被告委員会の自由裁量事項であると解するのが相当であるから、本件研修命令が原告の意思に反して発せられたという一事から直ちにこれが教員の身分の尊重を定めた教育基本法六条二項に違反し、原告の研修の自由及び教育権を侵害するものということはできない。しかしながら本件研修命令は前記のとおり原告の具体的な権利義務に影響を及ぼす職務命令であつて行政処分としての性格を有するところ、自由裁量権に基づく行政処分が社会観念上明らかに合理性を欠いている場合、例えば、行政目的に妥当する処分理由を欠いているような場合は裁量権の範囲を逸脱したものとして違法性を帯びるものと考える。これを本件について言えば右の行政目的は特殊教育教諭の効率的な養成という点にあるものと考えられるところ、前記のとおり教育公務員の研修はそれが本人の意思に反して行なわれた場合は十分な効果が期待できないから、本件研修命令が原告の意思に反しても発せられなければならなかつた点につき特に合理的な理由がない限り本件研修命令は行政目的に妥当する処分理由を欠くものと考える。そこで、次に本件研修命令に右のような合理的理由が存するかどうかについて検討する。

被告委員会は第一次命令の理由として、第一、県教委では県費負担教職員の異動に関し、同一校に七年以上勤務する者又は、同一市町村内の学校に一五年以上勤務している者を永年勤続者として異動の対象者としており、原告はこの基準に該当し異動の対象者となつているにもかゝわらず実現の見通がつかなかつたこと。第二、県教委は特殊教育の振興を重要な施策の一としているので原告に特殊教育の研修を命ずることは県教委の教育施策にも合致し、原告にとつても現有資格(中学校教諭普通免許状)の他に新たな資格(養護学校教諭普通免許状)を取得することになることを挙げている。そして、前記認定事実に証人脇田裕、同本山実の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は第一次命令が発令された昭和四二年三月当時桜江町内の学校に約一六年勤務していたのであるから県教委の人事異動基準に該当していたが、原告が日教組の専従役員の経歴を有しその運動方針に忠実な組合員であつて、校長及び教育長等上司に逆らい不遜と見られる言動にでることがあつたので、県教育長等の尽力にもかゝわらず原告の転任を受入れる市町村教育委員会がなく、原告を江陵中学校から転出させる見通しがつかなかつたこと、県教委は特殊教育の振興を重要な施策の一としており、この要員を確保するため毎年現職教員数名を内地留学させ養護教育を含む特殊教育に関する研修を命じている実情にあり、第一次命令は右教育施策にのつとつて発令されたこと、本件研修命令により原告が島根大学で養護教育の研修をすれば、養護学校教諭普通免許状取得の可能性があることが認められる。しかしながら前記のとおり、原告は既に英語及び国語の二教科につき中学校教諭二級普通免許状を有し、約五年間組合専従として職場を離れたものの、約一一年間普通中学校で英語及び国語教育に携つて来たものであり、かつて養護教育に関与したことなく、養護学校教諭の免許状の取得や養護教育に従事することを希望したことがなかつたのであるから、現職教員に養護教育の研修をさせることが県教委の教育施策に合致するとしても、島根県下に勤務している多数の県費負担教職員の中から特に原告を選んでその研修をさせる合理的理由にはならないものといわなければならない。又、永年勤続者として原告を江陵中学校から他市町村内の学校に転任させる必要があるのにその受入先がないとしても、そのことが直ちに本件研修命令の合理性を裏付けるものとはならない。しかも前記認定事実を総合すると第一次命令の真の理由は、原告が校長及び教育長等上司にとつて極めてけむたい存在であり、しかも異動の対象となつている原告を、受入先がないため転出させられないので、窮余の一策として特殊教育振興の名を借りて養護教育の研修を命じ、原告を江陵中学校から一時離れさせたものと考えるのが相当であるから、第一次命令には行政目的に妥当する処分理由が存在せず、社会観念上明らかに合理性を欠いているものといわなければならない(第一次命令の理由として、証人本山実はその証人尋問において前記理由の他に第一、原告は教育に熱心であるから、原告が特殊教育という新たな教育分野を開拓することは望ましいこと、第二、原告が研修のために従来の職場を離れることにより、原告の上司に対する不遜な態度についての世上の風評に冷却期間がおかれることになることを挙げているが、仮にそのようなことが理由になつているとしても、特殊教育に全く関心のない原告に特に新たな分野を開拓させなければならない合理的説明がなく、又江陵中学校を離れることが世上の風評に好影響を与えるとしても、それは研修命令の積極的理由とはならないから、いずれにしても右命令は行政目的に妥当する処分理由を欠くものといわなければならない)。

以上によつて第一次命令は被告委員会の裁量権の範囲を逸脱した違法な処分であるとしなければならない。

被告委員会は第二次命令の理由として前記二つの理由の他に、昭和四二年度における原告の研修は主として養護教育史の研究にあつたが、これを基礎にして更に特殊教育の技術的教育方法を研修させる必要があることを挙げているが、仮にそのような必要性があるとしても、前記認定事実を総合すると、第二次命令は第一次命令と別個独立の研修命令として発せられてはいるものの、事実上違法な第一次命令の後続処分たる性質を有することが認められ、本件口頭弁論に顕れた一切の証拠によつてもその合理性を裏付けるに足る事情は認められないから、第一次命令と同様被告委員会の裁量権の範囲を逸脱した行政処分として違法性を帯びるものというほかはない。

従つて第二次命令処分の取消を求める原告の請求は理由がある。

第三、証人飯塚弥総彦の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は違法な第一次命令によつて教育現場から切離され、組合活動をすることも妨げられたため精神的打撃を蒙つた事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。そして右精神的損害の慰藉料は前記認定の諸般の事情を考慮すると、金五万円をもつて相当と考える。そして、地方教育行政組織法二三条八号によれば、被告委員会がなした本件研修命令に係る事務の帰属する公共団体は被告桜江町であることが認められるから、同被告は国家賠償法一条一項により前記の損害を賠償する責任を負わなければならない。

第四、以上の次第で、本訴請求は被告委員会に対して第二次命令処分の取消を求め、被告桜江町に対して金五万円の支払を求める限度においていずれも理由があるからこれを認容し、被告桜江町に対するその余の請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。なお、原告は被告桜江町に対する金員支払請求について仮執行の宣言を求めているが、当裁判所はその必要がないものと認めこれが宣言を付さない。

(裁判官 広瀬友信 元吉麗子 辻中栄世)

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